博士 ×「課題探索力、アナロジーで捉える力」|植木 洋輔(株式会社日立製作所)
2025.08.28
植木 洋輔 氏(株式会社日立製作所 研究開発グループ SUSTAINABILITY INNOVATION R&D 生産・モノづくりイノベーションセンタ 機械構造システム研究部長)
株式会社日立製作所は総合電機メーカーから社会課題解決をワンストップで提供する「社会イノベーション事業」を軸とした会社へと大きく変化している。鉄道車両から原子力プラント、さらには電子顕微鏡まで多岐にわたる事業領域における製品の高い性能や信頼性を実現するための研究開発を行っているのが植木氏の率いる機械構造システム研究部である。今回は、植木氏の仕事の変遷とともに産業界の研究で発揮される博士人材の特徴的な強みについて語っていただいた。
インタビューアー:鬼頭 祐介(株式会社アカリク ヒューマンキャピタル事業本部 事業推進部)
鬼頭:それでは、まずは基本的な情報からお伺いできればと思います。はじめに、事業概要や研究グループの全体像について、簡単にご紹介いただけますでしょうか。
植木:日立製作所は総合電機メーカーとして分類される企業だと思います。ただ、現在の事業内容や方向性は、その言葉から連想されるような従来の姿とは異なってきていると感じています。これからはお客様や社会が抱える課題に対して、製品だけでなくサービスや仕組みも含めて包括的に対応していく、いわば、課題解決をワンストップで提供する会社へと変化しつつあるのではないかと考えています。従来のモノづくりに加えて、ソリューション提案型の企業としての側面が、より強まってきているように思います。
ワンストップで課題を解決するためには、非常に幅広い分野において、高いレベルの技術力を備えていることが求められます。ITやデジタルといった領域はもちろん、ハードウェア製品、さらには材料分野に至るまで、広範な領域にまたがる技術力が必要になります。そうした多様な分野を支えるための研究開発を担っているのが、私たちの組織だと考えています。
鬼頭:ご所属である、「SUSTAINABILITY INNOVATION R&D」「生産・モノづくりイノベーションセンタ」「機械構造システム研究部」のそれぞれについてどのような活動内容かをお伺いしたいです。
植木:まずサステナビリティという観点について、サステナビリティは日本語では「持続可能性」と訳されますが、それを実現するためには、さまざまな側面からのアプローチが必要です。
よく語られるのは、カーボンニュートラルやサーキュラーエコノミーの実現などグリーンの観点ですが、もう一つ大事な視点として、人的資源に関するサステナビリティもあります。現在、さまざまな産業で人財不足が深刻化しています。労働生産人口が減少するなかで、私たちは社会や顧客の事業、あるいは自社の事業を持続的に成立させていくための研究にも取り組んでいます。
従来は、製品の設計は人の手によって行われてきましたが、モノづくりの現場では人財不足が進んでおり、実際にお客様の現場でも「設計できる人が足りない」という声をよく聞きます。そういった課題に対して、私たちはデジタル技術を活用し、設計プロセスそのものを効率化・自動化する研究開発を進めています。
計算機上でシミュレーションを行い、試作に進むという手法自体は、これまでも比較的広く取り入れられてきたと思います。最近では生成AIのような新しい技術が登場し、やはりこうした技術を活用しない手はないと感じています。生成AIを使えば、先人たちが積み上げてきた知識やノウハウ、図面といった膨大な情報を取り込み、それをもとに新たな価値を創出することが可能になると考えています。そのような取り組みを通じて、モノづくりの高度化にチャレンジしているところです。これが、生産・モノづくりイノベーションセンタ、そして私の所属する研究部で現在進めている活動の一端になります。
どのような研究をしているのか少しイメージしにくいかもしれませんが、当社の製品で言えば、たとえば鉄道車両を想像していただくと分かりやすいかと思います。高速車両の場合には、時には時速300キロ以上で走行します。それが何十万キロ、何百万キロという長距離を安全に走り続けられるためには、どのような設計が求められるのか。あるいは、その設計をどのように効率化できるのか。私たちは、そういった課題に対する研究開発を行っています。
もう一つ分かりやすい例としては原子力プラントがあります。たとえば、大きな地震が発生した場合、制御棒が確実に作動し、原子炉の反応を即座に停止できるようにする必要があります。そのために、強い地震波が加わった場合でも、確実に動作するための設計や、プラント全体の耐震性の向上といった研究を行っています。これは土木工学に近い領域でもありますが、私たちにとっては機械構造システムとしての信頼性をどう担保するかというテーマです。
また、当社グループの製品としては、株式会社日立ハイテクの電子顕微鏡も対象になります。これは原子力プラントとはまったくサイズ感の異なるの製品ですが、たとえば半導体の製造プロセスにおいて、電子顕微鏡で「いかに高精細な画像を得られるか」が製品の品質に直結します。そのためには、外乱のある環境でも安定して高画質な観察ができるよう、電子顕微鏡本体の振動対策や温度変動への耐性が求められます。
このように、対象は鉄道車両から原子力プラント、さらには電子顕微鏡まで多岐にわたりますが、いずれも共通しているのは、機械構造物としての高い信頼性を実現するための研究開発を行っているという点です。
鬼頭:そういった意味で高度な研究の担い手が必要になると思いますが、今回のインタビューでは「博士人材」に焦点を当てているということもあり、現在、御社全体でどのくらい博士号取得者が在籍されているのでしょうか。また、貴部門における博士人材の割合についても、可能な範囲で教えていただけますか。
植木:私たちの研究部についてお話ししますと、博士号を取得している人材の割合は、おおよそ3割から4割程度です。広い意味での学問領域としては、機械工学、いわゆる機械系の出身者が多くを占めています。ただし、これは博士であるかどうかに関係なく、部門全体として機械系のバックグラウンドを持つ人が比較的多いという傾向です。機械系の他には情報系や材料系出身の方もいますし、物理系のバックグラウンドを持つ方も在籍しています。
鬼頭:少し視点を変えて、植木様ご自身についてお伺いできればと思います。博士課程でのご専門について、そして入社してすぐに携わられたお仕事の内容などについて、それぞれお聞かせいただけますか。
植木:私は東北大学大学院工学研究科のバイオロボティクス専攻に所属していました。研究テーマは、私たちの身体の仕組み、特に細胞やタンパク質分子といったものを、機械工学的なアプローチで理解しようとするものでした。具体的には、血管内に存在する細胞、つまり血流や血圧に常にさらされているような細胞が、どういった力学的な刺激によって形状や機能を変化させるのかということを、サイエンティフィックな視点から調べていました。
そんな私が入社して最初に携わったのは、鉄道関係の仕事でした。鉄道と聞くと、車両の方をイメージされる方が多いと思いますが、私が担当したのは線路側のほうで、具体的には無線通信用の地上設備に関するものでした。私が担当したプロジェクトは、その設備をゼロから開発するというものでした。ちょうど私が入社したタイミングでそのプロジェクトが立ち上がり、その開発に携わることになりました。
私のミッションは、この設備が数十年間ノーメンテナンスでも問題なく動作するように、信頼性を担保するというものでした。「どんな理屈で寿命を見積もるか」「そのためにどういった評価試験を設計すればよいか」といった課題に取り組みました。技術的には、疲労強度や腐食といった材料劣化の観点からも信頼性を確保する方法を検討していきました。例えば、この設備には、鉄道車両が近くを通過するたびにかなり大きな振動や衝撃が加わります。それが何十万回、何百万回と繰り返されても壊れないように設計するために、ゼロベースで構想を練っていくというような仕事でした。
学生時代の研究とは一見するとかけ離れていますが、共通する部分もありました。博士研究でも細胞を機械構造物としてとらえ、たとえば、「力が細胞内をどう伝わって、どこに応力が集中するか」といったことを考えていたので、力を流れとして捉えるセンスは、学生のころにある程度磨かれていたと思います。そういった感覚や材料力学などの基礎学問は、入社後の仕事にも十分に活きたと感じています。一方、製品としての信頼性をどう担保するかに関しては、やはり会社に入って、一から学び始めたことが多かったですね。
鬼頭:そこから今のポジションに至るまではどんなお仕事をされてきましたか。
植木:しばらくは鉄道関連の製品開発に長く携わっていたのですが、その中で「もしこういう技術があれば、この評価がもっと効率的に進むのに」と思うような課題意識がいくつか生まれました。そこから、製品開発に携わる傍らで、新しい研究提案も行うようになり、研究と開発を両立するような働き方を模索し始めたのが、入社3〜4年目頃のことです。特に、当時扱っていた製品がFRP(繊維強化樹脂)で構成されていたため、その長期信頼性に関する研究に面白さを感じて力を入いれるようになりました。
ちょうどそのころ、日立製作所が風力発電機事業に参入することになりました。風力発電機のブレード(羽根)もFRPでできていることから、自然な流れで風力発電関連の研究開発にも関わるようになっていきました。そして2014年からデンマーク工科大学(Technical University of Denmark)に1年間留学する機会を得ました。デンマークは風力発電の先進国であり、そこでブレードに使われる材料の長期信頼性に関する研究をさらに深掘りすることができました。
その後、モノのインターネット、いわゆる〝IoT〟の波がきて、風力発電機の稼働状況をIoTでモニタリングすることで健全性の評価をより精緻に行えるのではないか、という取り組みに参画することになり、今度はデジタル領域の研究に関心がシフトしていきました。そんな中、弊社の金融ビジネスユニットから声がかかり、「損害保険のリスク評価にも応用できるのではないか」と、新たな領域への展開が始まりました。
実際に、保険会社と共同での研究テーマにも取り組み、お客様と一緒にソリューションを創出する活動を行いました。そしてその流れの中で、金融ビジネスユニットに異動することが決まったのです。ハードウェア製品に関する取り組みを中心とした茨城の研究開発拠点から、まったく異なる業種である金融機関向けのITソリューション事業部門への異動で、非常に珍しいケースだったと思います。
2年間の事業部門経験の後、2023年4月に研究所へ戻り、今度は「モノづくりの設計プロセスをAIで効率化する」といったテーマに取り組み、研究チームのユニットリーダーを務めました。そして昨年4月からは、その研究チームも含む研究部全体の部長という立場になり、より広い視点でのマネジメントにあたっています。ユニットリーダー時代はプレイングマネージャーとして自分でコードを書いたり実験を行ったりすることもありましたが、現在はほぼ100%マネージャー業務に従事しています。
鬼頭:これまで本当にさまざまな分野のお仕事に取り組まれてきたかと思いますが、その中で博士課程での経験が、企業での研究やマネジメントに活きたと感じた場面があれば、ぜひ教えてください。
植木:少し話が博士課程時代に戻りますが、私の場合、指導教員の方針が少し特徴的でして、修士課程から同じ研究室で博士課程に進んだ学生に対しても、修士の延長ではない新しいテーマで研究を始めなさいと言われていました。博士課程の3年間のうち、最初の1年はテーマ設計に使うことになり、文献調査を徹底的に行い、自分の中で「この課題を解くべきだ」と思えるものを探していました。
もちろんその後の2年間で成果を出して、論文も数本書かなければならなかったので、正直かなり大変でした。でも、そういった経験を通して「課題を解く力」だけでなく、「解くべき課題を見つける力」が鍛えられたと感じています。これは会社に入ってからは自分の中でも大きな資産になっていると感じます。
昔は、研究者に求められるのは課題解決力だけ、という側面があったかもしれません。ただ、現在の当社のR&Dでは、お客様自身がまだ気づいていないような課題を、仮説ベースでもいいので提示してみる。つまり、まずは課題に「出会い」、それから「解く」というプロセスが重要になっています。そういった意味で、博士課程の時に培った「課題探索力」というのは、仕事をする上で活きる場面が非常に多いと感じています。
鬼頭:逆に、企業に入社された際に感じたギャップや、実際に苦労されたことなどはありますか?
植木:大きな点としては、アカデミアと企業におけるアウトプットの仕方、いわゆる「お作法」の違いがかなりあるなと感じました。
特に私の場合、工学部ではありましたが、先ほどもお話した通り、どちらかというと科学的好奇心にを原動力とするタイプの研究をしていたのです。何かがわかっていないからこそ研究する、未知のミステリーを解き明かすことに価値があるという前提で、テーマを設定していました。
一方、企業に入ると、「あなたの研究は、事業としてどんな価値を生み出すのか?」という視点で語れることが重要になります。この切り替えには多少時間がかかってしまったかもしれません。特にプレゼンテーションにおいては、この点が顕著で、入社後最初の2年間で徹底的に指導された記憶があります。修士の方ですと、企業側のスタイルに比較的すんなりと馴染めることもあると思いますが、博士課程を経てきた方の場合、自分なりの研究手法やプレゼンスタイルがある程度できあがっていて、そこにプライドを持っていることも多いと思います。
そういった方が企業研究者のスタイルにスイッチするには、やはり少し戸惑いを感じるかもしれませんね。ただ、私は比較的、環境への順応性が高い方のようで、今では逆に学会などでアカデミアの方の発表を聞いたときに「そもそもこの研究は何の役に立つのだろう?」と、つい問いが先に立ってしまうようになりました。
鬼頭:そろそろインタビューも終盤ですが、これから博士を目指す方はどのようなことを考えていけばいいのでしょうか。メッセージやご自身のエピソードなどがあれば、ぜひお願いします。
植木:まず、進学を検討している方にお伝えしたいのは「博士号を取りたいかどうか」よりも、「自分がどういうキャリアを歩みたいのか」をまず考えるべきだということです。修士課程の方から就職か進学かの相談を受けることもあるのですが、自分がなりたい職種やポジションがどういうものなのか、それを最初に思い描いてから、その手段として博士課程に進むかどうかを考えるのがよいのではないか、という話をしています。
博士課程は誰にでも「ぜひ進学すべき」と勧められるものではないと思っています。だからこそ、進学するかどうかについては、リスクを踏まえた上で判断すべきだということを必ず伝えるようにしています。私自身は博士号を取得して企業に入り、現在は部長という立場にいますので、外から見るとある種のキャリア成功例のように見えるかもしれません。ただ、今振り返ってみると、それはかなり大きなリスクを取った結果であって、当時の選択はある意味“博打”だったと思うところもあります。
私が修士課程にいた頃は学生の売り手市場でしたが、博士課程で就職活動をしていた時はリーマンショックの影響を受けていて、日立はもちろん、多くの企業が採用数を大幅に絞っていた時期でした。実は、そういった環境下で最終的に私を採用してくれたのは日立だけだった、という経緯があります。
鬼頭:逆に言えば、当時の日立製作所は採用数を絞ったものの、博士人材の採用は続けていたのはとてもすごいことだったのかもしれません。
植木:本当にすごいと思いますよ。あの時、日立は過去最大の7,800億円もの赤字を計上した年だったと思います。当時は不況ということもあって、たとえば面談に行く際の交通費の支給について、仙台から東京までの交通費を「お出しします」と言っていた会社から当日になって「やはり出せません」と言われたこともありましたが、日立は、ちゃんと往復分を交通費を支給してくれましたし(笑)、私のような博士課程の学生もきちんと評価してくれていました。
鬼頭:ちなみにアカデミアに残ることは考えていましたか?それとも当初から民間企業で働くことを目指していましたか?
植木:もちろんアカデミアに残ることも一時は考えましたが「民間企業で研究職に就きたい」という意志は明確に持っていました。
妻(当時はまだ結婚していませんでしたが)も理系の修士課程まで修めていたのですが、「あなたは大学にずっといると視野が狭くなってしまうかもしれない」と言われたことが印象に残っています。実際、自分でもそう感じていました。一方で、民間企業を経験したうえでアカデミアに戻ってこられた先生もいらっしゃって、そういう方々はやはり視野が広いなと感じました。そうした背景もあり、「将来大学に戻るにせよ、まずは一度社会に出よう」と思うようになりました。これは私の中では大きな転機だったと思います。
今のキャリアを選ぶにあたり、もう一つの理由としては、私が博士課程で取り組んでいた研究というのは、「わからないことを掘る」「未知のことに向き合う」科学的な好奇心に基づいたものでした。そういった研究には大きな充実感がある一方で、自分に子どもができたとき、「お父さんがこれを作ったんだよ」と言えるような、より具体的で社会に接続する研究にも携わりたいという思いが芽生えたのです。こうした理由から民間企業でR&Dの道をめざすことを決意しました。
鬼頭:そして今は研究をマネジメントすることが中心となってきたとお聞きしました。そのご経験も踏まえ、お伺いしたいのですが、大学院生の方々と接していると、研究職に対して強い志望を持っている方が多いと感じます。そうした中で、研究中心からマネジメントを中心としたキャリアパスへと移った一人のロールモデルとして、ぜひお考えを聞かせてください。
植木:確かに、自分の研究分野での研究者になりたい、という希望を持っておられる方は多く、進路としてアカデミアか、もしくは関連する企業の研究部門を志望されるというケースは多く見受けられます。
ただ、技術というものは時代とともに常に変化するものであり、今の専門性が5年後、10年後に最先端であるかどうかは誰にも分からないものです。そうした中で、特定の専門分野に固執してしまう姿勢には、やや疑問を感じることもあります。
もちろん、専門性へのパッションは非常に重要ですが、私自身はどちらかといえば「これ面白そう」「次はこれが来るかも」といった具合に、興味のあるテーマを次々と追いかけながらキャリアを積んできたタイプの人間ですので、そうした柔軟な生き方もあるのだということは、学生の皆さんにも伝えたいと思います。
特に、博士課程に進まれた方は、特定のテーマを突き詰めた経験を持っている方が多いとは思いますが、その経験は、アナロジー的に他の分野にも十分に応用できるはずです。そして、その突き詰めた経験がなければ到達できない価値があるとも思います。
専門性をさらに磨き続けたいという熱意も非常に大切ですが、一方で、そのスキルを他領域に展開するチャンスも多く存在します。この分野が好きだと思っていたけれど、新たな分野に移ったことで新しい可能性に気づく、といったケースもありますし、実際そうした道を歩んできた方が、マネージャーとして活躍している例が多いように感じます。
鬼頭:学部から修士に進むときや修士から博士に進むときに、所属や研究テーマを変更している方は一定数いらっしゃいますよね。そうした方々は、環境適応力が高かったり、プロジェクト全体を俯瞰して見ていたり、いわゆる“横串”の役割を自然と得意としている印象があります。もちろん、同じ大学でそのまま進学し、同じテーマにじっくり腰を据えて取り組むという道もあります。その一方で、異なる研究テーマや異なる環境を経験することは、見方を広げたり、新たな視点を持ったりすることにつながります。そうした経験が強みになるケースもあるかもしれません。
植木:どちらのタイプかによるところもあるかもしれませんね。おそらく「アナロジーで考える」という力は、マネージャーを務める上でも非常に重要なのではないかと思います。
たとえば、私の部には多様な専門性をもった多くの研究者がいますが、その全員の専門領域について、私自身がすべてを正確に網羅できているかというと、残念ながらそうではありません。
それでも、自分の持っている専門領域とのアナロジーを活用することで、異なる専門分野のこともある程度理解する、あるいは理解しようとする姿勢を持つことがそれなりにはできていると思います。結果的に、それがマネージャーとしての役割を担う上での支えになっているのかもしれません。
この「アナロジーで捉える力」は、分野をスイッチする場面にも役立ちますし、異なる技術分野を持つ人たちをまとめていくという点においても、生きている気がします。
鬼頭:ありがとうございます。最後まで面白いお話が聞けました。
本インタビューは株式会社日立製作所のイノベーション発信基地「協創の森」にて実施しました
株式会社 日立製作所の採用情報、インターンシップ/オープンカンパニーの情報については以下よりご確認ください。
■ 株式会社日立製作所 採用・インターンシップ
https://www.hitachi.co.jp/recruit/newgraduate/
■ 株式会社日立製作所 博士採用
https://www.hitachi.co.jp/recruit/doctor/index.html
◆ インタビューのお相手:植木 洋輔 氏(株式会社日立製作所 研究開発グループ SUSTAINABILITY INNOVATION R&D 生産・モノづくりイノベーションセンタ 機械構造システム研究部長)
◆ 企業情報
社名:株式会社 日立製作所
代表者:代表執行役 執行役社長兼CEO 德永 俊昭
本社所在地:〒100-8280 東京都千代田区丸の内一丁目6番6号
創立:1920(大正9)年2月1日
こちらの記事は2025年8月28日に公開しており、記載されている情報が現在と異なる場合がございます。